自由惑星連邦は４年に１度の大総統選挙の只中にあった。
投票日を明日に控え、ここ惑星フロンティアにある首都フリーダムシティでは、
自由共和党と民主自由党の各候補者が、終盤の選挙戦を熱く繰り広げている。

「銀河帝国との無益な戦争に、経済は疲弊しています。
今こそ、和平をためらわず、市民の福利向上主体の財政に転換すべきなのです！」

「公園西寄りの聴衆が増えています。混雑が激しくなってます！」

「警備会社に、誘導員を増やすよう要請しろ」

「ライジングタワー方向には、特に不穏な様子はありません」

「引き続き、テロ警戒。レベル５だぞ！」

部下からの報告を無線で受けながら、てきぱきと指示を飛ばすスジン。

そんなやりとりが途切れた合間、スジンはふと思い出した。

「ジョンウム……」

木立ちの向こうの空を見れば、チョン候補の演説する声が遠くなった。

「ジョンウム……、今なら、私たち、いっしょになれたのかな……」

活発で男勝りとよく言われたスジンに対し、ちっちゃくてか弱いタイプのジョンウムは、誰が見てもかわいらしい女の子だった。
学校のクラスメートたちは、そんな二人を「お似合いのカップル」と認めてくれていた。

だが幸せな日々は長くは続かなかった。
ジョンウムが未だ治療法の確立されていない難病・宇宙放射線病に冒されてしまったのだ。
余命は２〜３ヵ月という診断が下った。

「生きているうちに、スジンと結婚式がしたいな……」

病床のジョンウムが、そんなことを望んだ。スジンは、その願いを叶えてやりたいと思ったが、障壁があった。
女の子どうしの結婚式などというものを、保守的なそれぞれの両親が認めなかったのだ。

やむなく二人は、ある日病院を抜け出して宇宙港へ向かった。

伝説があった。惑星エリシオンにある［希望の丘］で結婚式をあげたカップルは永遠に幸せになれると……。

だが病状の進んでいたジョンウムの体力では、宇宙港まで地上を移動することさえもが、もはや苛酷な旅となっていた。
力尽きたジョンウムは、そのまま宇宙港のロビーで倒れて……。

「っ！」

スジンは我にかえった。
思わず涙がこぼれそうになっていた。気を引き締め直して、周囲を警戒するスジン。

ただ、ヘスンの気持ちに対し、スジンはというと、どこか今ひとつ踏み切れない、何か心に引っかかりのようなものを抱えていた。
もしかしたら、まだどこかで、ジョンウムのことを想っているのかもしれなかった。
しょうがないことだとは、理屈ではわかっているのだけれど……。

チョン候補の演説はクライマックスに入っていた。
民主自由党のチョン候補は、自由共和党のキム候補と比べると、リベラル派だと言われていた。

対する、現職でもあるキム候補は、今までも銀河帝国との戦争を推進し、軍需産業優先の経済政策をとってきたため、
民主自由党陣営などからはタカ派候補との批判を受けている。また、原理主義的な宗教組織との癒着も取りざたされていた。

「当選するのかなぁ、チョン候補……」

多少の期待を込めて、スジンはつぶやいた。

ジャーナリズムによる世論調査では、チョン候補の優勢が報じられている。
そしてリベラルなチョン候補が当選した暁には、銀河帝国との和平や、経済政策の転換、福祉の充実などに混じって、
同性どうしの結婚を公的に認める法律が制定される見込みとなっていた。

そのとき通信機に報告が入った。

「はぁ、それが不審者は若い女性だそうで、それでボディチェックなどでの協力の要請なんですが……」

「そうなんです……」

となると、不審者とはいえ若い女性の取り調べを任せると問題が起きそうだと、スジンは思った。

「よし、私が行く」

そう答えて歩き出しながら、スジンはもういちど通信機に向かって指示を出す。

「聞いてたか、トーマス？　ちょっと本部に戻ってるから、しばらくの間、頼んだぞ」

「了解です、班長」

副班長のトーマスは、金髪・碧眼の絵に書いたような美少年顔で、
街頭警備の様子を見た市民の間で、ちょっとした話題になっているというウワサもある。
また、協調して仕事に取り組む様子を見て、班長のスジンとの仲を詮索する者も周囲にはいたが、
スジンはもちろん、どうやらトーマスのほうにも、ソノ気はないようであった。

「ねぇ班長、ボクもゲイなんですよ〜」

飲み会のとき、冗談交じりにそんなことを言っていたこともあるが、そういえば、あの「も」というのは何だったんだろう、
自分のことなど何も教えていないのに……、とスジンは思った。

本部に着いて、取り調べ室に入ったスジンは、アッと大声を出しそうになった。

ひとしきり内心が動揺した後、冷静さを取り戻したスジンは、ボディチェックを済ませると、訊問に入った。

「銀河帝国から来たの？」

「………………」

「自爆テロをするつもりだったのね？」

「………………」

女は黙秘を決め込んでいるようであった。
もっともすでに押収した所持品には、小型爆弾が含まれていたし、パスポートも偽造品だったので、
これらの質問に単純に回答するなら「ＹＥＳ」となることは、ほぼ確実であった。

スジンは、話の目先を少し変えることにした。

「どうして自爆テロなんかしようとするの。やっぱり銀河帝国では、お国のために死ぬのは名誉なことなの？」

「………………」

「まだ若いんだから、命は大切にしなきゃ」

これはスジンの偽らざる気持ちでもあった。こんな若くてかわいい女の子にテロ行為を強いる銀河帝国が許せないと思った。

「とにかく…………、そんなに固くならないで。
自由惑星連邦では、取り調べといっても、拷問して無理やり自白させたりはしないのよ。憲法で禁止されているからね」

なんとか相手の気持ちをほぐしたいと、スジンは思った。

「あなたが素直に全部話してくれれば、情状酌量にもなるわ。このまま連邦に亡命することだって、不可能ではないのよ」

それが彼女にとっても、もっともよい道だろうとスジンは考える。しかし、女は素直にはなってくれなかった。

「……オバサン、本当に連邦がいいところだと思ってるの？」

オバサンと呼ばれてスジンはムッとした。
まぁ次の誕生日にはいよいよ大台を更新するわけなので、もはや“お姉さん”はキビシイという自覚もないではなかったが。

「帝国だって、皇帝陛下が善政を敷いているし、憲法だってあるのよ。連邦より、よほど住みやすいわ」

銀河帝国では皇帝の圧政のもとで、人民は苦しめられている。
だから帝国との戦いは、帝国の人々を解放するための、正義の戦争である、と連邦政府は喧伝している。
それをまるまる鵜呑みにしてはいけないのは、いわばメディアリテラシーの基本中の基本だが、
かといって、帝国では皇帝の専制政治なのだから、
連邦に比べれば、人民の自由や権利は大幅に制限されているにちがいない、とスジンは認識していた。

「そんなウソをついて、強がらなくてもいいんじゃない？」

気を取り直してスジンは、立ち上がって女の斜め後方に回り、肩に優しく手を置きながら言ってみた。

「ともかく……、チョン候補の演説を妨害するのは、帝国としても得策じゃないわよ。
チョン候補は和平派なんだから」

そのあたりもどうも釈然としない点である。
もしもスジンが帝国のテロリストだったらば、むしろキム候補のほうを暗殺しようとしただろう。

「そんなこと、わかってるわ」

「…………」

スジンは少し苛立った。
女が素直に供述しないこともあったが、それよりも女が、話し方までジョンウムに似ていることが、神経を逆なでしたのだ。
読書家のジョンウムは、いろいろな蘊蓄をスジンに語る際、よく今の女のような口調になったものだ。

まぁ、しかしそれは女としても、言われても困ることだろう。

だが、一瞬スジンが感情を乱した隙を、女は上手にとらえた。
サッと手を伸ばすと、スジンの腰のホルスターから拳銃を抜き取った。

「あっ！」

しまったと思ったときは遅かった。女は銃でスジンを牽制しながら、取り調べ室から脱走した。

スジンが叫ぶまでもなく、すでに緊急配備になっていた。

「女は非常階段を上ってます！」

それなら、屋上で行き止まりである。スジンたちも非常階段を駈け上がった。

屋上に出ると、すでに女はフェンス際で何人もの警備係員に追い詰められ、自動小銃に囲まれていた。

「来ないで！」

女も、切羽詰まった面持ちで、拳銃を構えている。

スジンは他の係員を制すると、女に一歩近づいた。

「バカなことはやめて。あなたのためにならないわ」

「近寄らないでっ」

「私はあなたを助けたいの」

「ウソっ！」

一瞬、女の顔が虚をつかれたように和らいだ。
だが折悪しく、上空に何かのヘリコプターが飛来した。女は、それも自分を追い詰めるためのものと錯覚した。
女は思わずトリガーに手をかけた。疾風の中、銃声が響いた。銃弾がスジンの耳元をかすめたような気がした。
他の係員が自動小銃を構え直す音がする。

スジンは叫んだが、その前に発砲された自動小銃がひとつあった。
銃弾は女の右肩に当たったようだ。血飛沫が広がり、女は拳銃を取り落とし、その場に倒れ込んだ。

一瞬の沈黙が屋上を包んだ。遠ざかるヘリコプターの音だけが聞こえた。

スジンが駆け寄って、気絶した女を抱き起こす。鮮血は、女の顔を赤く染めていた。

（ジョンウム！）

それは宇宙港で倒れたジョンウムの吐血した様子に重なった。

「しっかりしろ、死んじゃダメっ！」

メディカルセンターに運ばれた女は、傷の治療を受け、そのまま入院することとなった。幸いにも軽傷ですんだらしい。
１週間ほどで回復の見込みということで、その後は銀河赤十字の宇宙船で帝国へ強制送還という運びになるだろう。

数日後、スジンは女を見舞った。選挙は無事に終わり、チョン候補の当選が決まっていた。

「本当は、死にたくなかったの……」

スジンの気づかいに報いてか、女はポツリポツリ心の内をのぞかせた。

「でも、恋人に危害を加えるって脅されて……。それでしかたなく」

「そうだったの」

スジンは考えた。おそらく……、自爆テロを画策したのは、本当は自由共和党陣営だったのではないか。
「銀河帝国による自爆テロ」が首都で起こり、一定の被害が出れば、和平を主張するチョン候補よりも、キム候補のほうが有利になる。

そういう信じられないような駆け引きが真剣におこなわれているのが、連邦の政治の世界である。
賄賂がからんだ選挙違反や汚職も珍しくはない。そして民主主義という建前のもとで、特定の層にのみ有利な政策が推し進められていく。

そんな状況下で、選挙管理委員の警備係にすぎないスジンにできることは少なかった。
今回の自爆テロ未遂も、たとえ警察に捜査が移管されたとしても、そのように政府与党が黒幕ともなれば、
立件されるはるか手前で揉み消されるにちがいない。

怒りは、やるせなくもスジンの胸の中だけで渦巻いた。

「……帰ったら、とりあえずまた恋人と暮らすわ」

「それがいいわね」

「それで、お金がたまったら結婚するの……」

そう言う女に対して、スジンはふと尋ねてみた。

「カレシはどんな人なの？」

女は、なんとも言えない表情を浮かべると、２秒ほど置いた後、答えた。

「……カノジョなの」

「そ、そうなの」

それはそれでいいことだと納得しかけたスジンは、ハッとした。

「帝国では……、ずいぶん前からフツーに認められてますよ」

「………………」

スジンは絶句した。

なんということか。

連邦ではようやく法制化がおこなわれようとしているところだというのに……。

驚きと感心の入り交じった気持ちで、スジンはメディカルセンターを後にした。

帰り道、携帯端末を確認すると、ヘスンからのメールが入っていた。

＜今日もお仕事、お疲れさま。今晩はキムチ鍋にします。
スジンの好きな鶏のモモ肉、いっぱい用意してあるヨ。早く帰ってきてネ＞

画面を見つめるスジンの口もとがほころんだ。

「ヘスンったら……」

ふいに、ヘスンのことがとても愛しく感じられた。

（今日はもう、帰ってヘスンと…………）

一年中、秋のような気候のフリーダムシティに、透明な夕空が広がりつつあった。
スジンは家路を急ぎはじめた。