『最後の思い出』

桃山ミユキの小説

『最後の思い出』

「暑い…」

８月最後の日曜日。

街は、行く夏を惜しむ家族連れやカップルであふれている。

しかし私は休日出勤。取引先は小売店が多いので、こういう日にも営業して回るのだ。長引く不況ゆえなのだろう。入社４年目の私に、近ごろ私生活はない。

私は、ワイシャツの襟に手をかけ、ネクタイをこころもち緩めながら、歩き続けた。

「うーん、こりゃたまらん」

あまりの暑さに閉口した私は、たまたま通りかかった大型カメラ店の店内で、少し涼むことにした。

店内に入ると、そこは冷房がよく効いて、まるで別天地である。

私は、しばし仕事を忘れて、カメラ店の中を物色して回った。カメラのほか、ビデオ関連家電、パソコン、携帯電話なども扱っているその店は、その気になれば２～３時間は退屈せずに過ごせるかもしれない。

ひとしきり店内を回った後、私はふと、使い捨てカメラのワゴンの前で足を止めた。ワゴンの横には、何かチラシが吊してある。

“エッセイ大募集、テーマ・レンズ付きフィルムと私”

レンズ付きフィルム、つまりいわゆる使い捨てカメラにまつわる思い出を、短くまとめたエッセイを広く募っており、優秀な作品には賞金や賞品も出るという。メーカー主催の、一種のキャンペーンだ。

日頃はそんな公募の類にはあまり興味がない私だが、このときはふと、チラシを１枚手に取った。

そして。

カメラ屋を出ると、外はよく晴れた青い空。夏の終わりのまだ強い日差し……。

「…………………………。」

その夜、私はワープロに向かい、次のような文章をしたためた。

絵に描いたような晴れた日になった。

８月最後の日曜日。

海へのドライブには絶好の日和だ。

そして、それが彼女との最後のデートになるのだった。

７歳年下の彼女。

うまくやっていけるかどうか自信のないまま付き合い始めたものの、いつか来る別れの日を予感していた私は、それまで彼女とは写真を一切撮らずにいた。

その日も、やはり私はカメラを持たないまま、クルマは高速道路に入った。

別れる前にもう一度二人の思い出が作りたいと言ったのは彼女だったが、やはりいざ最後のデートとなると、彼女は淋しげで、そしていつもにも増して無口だった。

沈黙が包む車内で、私はふと、今日ぐらいカメラを持ってくればよかったと思った。

外は本当によく晴れて、夏の終わりの日差しが眩しい。こんな日はとてもキレイな写真が撮れるはずだ。

私は微かな後悔を感じつつ、休憩のためにサービスエリアに立ち寄った。

エリアは混んでいて、殊に女子トイレには行列ができており、私は彼女が用を足す間、売店をうろうろして時間を潰すこととなった。

ふと見ると、売店の一角に緑色のパッケージが陳列してある。レンズ付きフィルムだった。一度通り過ぎてから、私はもう一度その前に戻った。

どうしようか。これを買っていけば、今からでも彼女との写真を撮ることができる…。

「お待たせ。ごめんね」

その時、背後から彼女の声がした。

…どうしてあの時、レンズ付きフィルムを買っておかなかったのだろう。いまだにふとした機会に後悔する。

彼女との最後の思い出になった海の色、空の色、そして彼女の笑顔は、今でも私の記憶の中だけに焼き付いている。