六月になったばかりの風はここちいい。衣替えで制服も白い夏服になった。昼休みの校庭では、野球部の一年生が放課後の練習に備えたトンボがけなどをしている。

教室の窓際の席で、真奈美は一瞬ぼんやりと外の景色を眺めていた。

「ねぇ真奈美、真奈美って！」

一緒にお弁当をひろげていた、友人の由香が話しかけてくる。由香はとにかくおしゃべりが好きだ。

「でさぁ、真奈美の好きな男の子って、じつは誰なの？」

「ぇ？　えぇっ？」

「え、じゃないヨ、この前、好きな人いるの？って聞いたら、いるようなこと言ってたじゃん」

「あ…、んー、そ、それは、その……」

「もしかしてサックスの西田先輩？、あ、それともクラリネットの……」

名前の前に楽器名がつくのは、二人が吹奏楽部に入っているからだ。

「……クラブじゃなくて、このクラスの男子なのぉ？」

由香の言うことは、ぜんぜん当たっていない。

私が本当に好きな人は……、私の憧れの先輩は……。

だが、とても言い出せなかった。真奈美は赤くなってうつむいた。

「もぉー、真奈美ったら……」

由香はそう言うと、お弁当を一口頬ばる。

「でもぉ、言ってる間に夏休みだし、もう高校生になったんだしぃ、やっぱ、早くカレシつくらないとね……。カレシいなきゃつまんないって、真奈美も思うでしょぉ？」

言いながら、由香は傍らに置いたティーンズ雑誌をパラパラとめくった。「私の初体験」などといった記事も載っているやつだ。

「ぅ……、うんー、そうねー……」

由香の問いかけに、真奈美は生返事でこたえるしかなかった。

放課後のチャイムが鳴ると、二人は部活へ向かった。今日はパートごとの練習だから、フルートの真奈美は、トランペットの由香とは活動中は別々だ。

「それじゃ今のところ、もう一度通して練習してみるよ」

フルートの練習を仕切るパートリーダーの福井先輩はまだ二年生だ。決して威張らず自然体でキビキビとみんなをまとめているその姿は、真奈美にはとてもカッコよく感じられた。

「それから吉村さん」

名指しされて真奈美はあわてる。

「は、はいっ」

「六小節目のところ苦手なのかな。気をつけてね」

「あ、はい、スミマセン……」

ドキドキした。

注意されたのと、そして、福井先輩と言葉を交わしたことで。

練習が終わると、真奈美は由香と落ち合って下校を始めた。

「今日の練習で私、福井先輩から注意されちゃった……」という話がしたい気もしたがやめた。

「それがどうしたの？」と返されると説明に困る。

ふと見ると、少し前を三年生で部長の山崎隆幸先輩と、サックスのパートリーダー西田純先輩が歩いていた。あの二人は親友なのだろう。よく仲よく一緒にいるところを見かける。

由香もそれに気付くと、小声に真奈美に話しかけてきた。

「ねぇねぇ、山崎先輩なんかは、真奈美のタイプじゃないのぉ？」

「またー、由香ったら、しつこいんだから…」

やんわりと真奈美は否定した。

「……私は西田先輩がタイプだわ」

「ふーん」

「でも競争率高いもんなー……」

「そうねぇ」

先輩二人は、そんな会話には気付かずに歩いていた。

それから三日後の休み時間だった。

たまたまひとりでトイレに行った真奈美は、そこで福井先輩とバッタリ出くわした。移動教室の途中なのだろうか。この一年生の教室があるフロアの女子トイレに二年生は普通は来ないのに。しかも人望厚い福井先輩には珍しく一人でいる。職員室に用事でもあったのかもしれない。

「こ、こんにちは」

あわてて真奈美があいさつすると、福井先輩は救われたような表情になって口を開いた。

「あ！　吉村さん、よかった……、ごめんね、あの……、急になっちゃったんだ。悪いけどアレ、……貸してくれない？」

「ぁ、はい！」

真奈美は急いで教室に戻ると、カバンからナプキンを入れたポーチを取り出した。いちおう常備しているが、真奈美が次に必要になるまで、あと二週間ばかりあるはずだった。

大急ぎでトイレに戻った真奈美は、そのポーチごと福井先輩に渡した。

「ありがとう、感謝するわ」

そう言うと福井先輩は個室の中に消えた。真奈美はそっとトイレを離れた。

その晩、真奈美は自分の部屋で、昼間のことを思い返していた。

福井先輩が困っているところを助けてあげることができた。そのこと自体ももちろん嬉しい。しかし、もっと別の興奮が真奈美の身体を支配していた。

真奈美の持っていたナプキンが、今、福井先輩の大事なところに当たっている。そのことを思うと、真奈美の胸の奥には、甘酸く熱い気持ちが広がるのだった。

まるでナプキンを介して、真奈美の大事なところと福井先輩のが触れ合っているような感覚……。それは真奈美にとって、息苦しいような切なさを伴いながらも、大好きな人とつながっているという幸福感に満ちている。

「あぁー、福井先輩……、和美さん……」

身体をこころもち丸めながら、福井和美先輩の下の名前まで口にしてみると、真奈美の下腹部にもまた、しびれたような感触が溢れ出してきた。部屋着の奥のコットンのショーツは湿っている。

「はぁっ……」

真奈美はそのままベッドに倒れ込んだ。脳裏にいくつもの和美先輩の姿が浮かんでくる。そのイメージと戯れながら、真奈美は指で、ショーツの奥のクリトリスを撫でた。

「ぁぁ……先輩……、和美さん……、好き、大好き……」

切ないしびれた感触はみるみる増幅し、真奈美の身体はうちふるえる。

「ぁはぁぁぁーんっ！」

家族に聞こえるかもしれないことも忘れて、真奈美は大声を上げた。

自慰行為が一段落すると、真奈美は猛烈な自己嫌悪感に襲われた。大好きな和美先輩のことを想いながらこんなエッチなことをしてしまうなんて…。

それに……、いや、自慰行為自体は、今時そんな気にすることではない。しかし由香などは、もっぱら雑誌に出てくるカッコイイ男の子のことを想像してやっているという。でも真奈美は今、カッコイイ男の子ではなく、同性である和美先輩を…………。

真奈美は自分を否定したくて、思わず首を振った。しかし和美先輩をオナニーのタネにした事実が消えるはずもない。

どうして私は和美先輩が好きなんだろう。どうして男の子を好きにならないんだろう。もう高校生なんだから、もっと大人になって、男の子と恋愛できるように努力しないといけないんじゃないだろうか……。

翌朝、寝覚めが悪いまま登校した真奈美は、校門のところで配られていた新聞部の号外を見て腰を抜かした。

『吹奏楽部三年生のあの二人はホモだった！』

『スクープ写真！　男どうしの熱いキス』

仮名にはしてあったが、山崎隆幸先輩と西田純先輩のことが報じられていたのだ。

この学校は自由な校風ということで、新聞部がこのような写真週刊誌まがいの記事を載せることも認められていた。

数日前の夕方、仲よく並んで下校していた二人の姿を、真奈美は思い浮かべた。

その日の昼休み、渦中の二人は放送部のお昼の放送に緊急ゲスト出演した。

そこで二人は、『ホモ』というのは正確ではなく、かつ差別的な表現であること、同性愛は決して"変態"ではなく、統計的にも少なくはないこと、そして多様な性を互いに認め合うことが必要なことなどを、切々と訴えた。

ちなみに、男性同性愛は「ゲイ」、女性同性愛は“レズ”と略さず「レズビアン」、または「ダイク」と呼ぶのが正確らしい。また『ホモ』も、「ホモセクシュアル」と略さずに言って初めて､同性愛全般を科学的に表現する言葉となるという。

真奈美たちはそうした話を聞いて、ただただ驚くほかなかった。

翌日の昼休み、真奈美は和美先輩と中庭で待ち合わせた。

「ごめんね、呼び出しちゃって」

和美先輩は静かに口を開く。

「あ、いえ……」

いろんな思いが渦巻く真奈美は、緊張してうまくしゃべれない。

「……………」

そんな真奈美の様子を、どう解釈したのか、和美先輩は、昨日の一件について語り始めた。

「山崎部長と西田先輩のあのこと、気にしてるの？」

「！…………？……」

「私は前から知ってたよ」

「…………………………」

「……私ね、一年生のとき、山崎先輩のこと好きだったんだ。それで文化祭のあと、思い切って告白したの」

「…………………………」

「でもフラれちゃった。『俺、西田のことが好きなんだ。もう付き合ってる』ってね。そのときは大ショックだったわ。どうして女の私より、男どうしのほうがいいのかわからなくて、とても悔しかった。クラブもやめようかと思った……」

「…………………………」

「でもね、二人の楽しそうにしている様子を見て、だんだんわかってきたの。女と男で付き合わないといけないなんて、誰かが決めたわけじゃないって……。だからべつに男どうしだってかまわないし……」

そこまで聞いて真奈美はドキッとした。和美先輩に心の中を見透かされているような気がしたのだ。

「……もちろん女の子どうしだってかまわないんだなぁってね」

「そ……、そうですね……」

真奈美はどぎまぎした。鼓動が速くなっている。顔も真っ赤かもしれない。それを和美先輩に悟られてはいけないと思うと、さらに緊張する。

そんな真奈美にかまわず、和美先輩は話を続けた。

「ごめんね、こんな話しちゃって。でも吹奏楽部のみんなは気にしないから大丈夫よ。……これ、この前はありがとう。あと、これ、ほんの私の気持ち……」

和美先輩はそう言うと、真奈美に借りたポーチと小さな包みを手渡した。

「じゃ、また放課後、部活でねっ」

「ぁっ……」

ぎこちない真奈美に、ニコッと笑いかけると、和美先輩はそのまま小走りに去っていった。

家に帰ってよく見ると、ポーチには使った分だけのナプキンが補充されていた。

真奈美はロリエを愛用していたが、和美先輩はウィスパー派のようであった。

小さな包みは、真奈美もよく行く雑貨屋さんで買ったラベンダーのアロマキャンドルだった。

ちょっと幸せな気分になった。

真奈美はさっそく、キャンドルに火を灯してみた。