くしゃみをすると、その衝撃で、魂が身体から飛び出してしまう。

欧米では、そう考えられている。

そこで、誰かがくしゃみをすると、すかさず“God Bless You!"（神の御加護がありますように）と、声をかける習慣があるらしい。

ちなみに、英語でのくしゃみを表す擬音語は“achoo!"である。

当然ながら、日本では「ハクション」であり、英語とは異なっている。

むろん、もともと言葉になっていない“音”を、無理やり単語化したのだから、そのプロセスで、言語ごとの違いが発生しても、不思議ではない。

そして、くしゃみそのものには、人種・民族差が、さほどあるわけではないはずだから、これは音を感じる脳の構造や、文化の違いだということになるだろう。

ところで、くしゃみに人種・民族差がないとは書いたが、私自身、日本人以外がくしゃみをしている現場に、そうそう遭遇する機会があるわけではないので、これは、推定の域を出ていないのではないかと、言われると否定できない。

どなたか、詳しい方は、レクチャーしていただけると幸いである。

しかしながら、少なくとも日本においては、くしゃみには男女差があるのではないか。…これについては、あるていど客観的な観察に基づいて言うことができそうだ。

男性のくしゃみはおおむね豪快だが、女性のくしゃみは控えめで、奥ゆかしいものが多い。

仮に女性が、かなり激しく、くしゃみをした場合でも、音の質が、男性のそれとは明らかに違う。

これは、咳やシャックリ、ゲップの場合でも、だいたい同じ傾向があるようだ。

このことは、私たちＴＧにとって、さりげなく深刻な問題である。

私なども、うっかり、気をつかわずに、くしゃみをした場合、男性のそれになってしまうからだ。

おんなのこモードのときは、したがって、くしゃみには慎重にならざるを得ない。

そして、かなり神経を使った上でしたくしゃみであっても、やはり、女性としては不自然なものになることが多いように思える。

往々にして、くしゃみとともに鼻水なども出て、これによりヒゲを隠しているあたりのファンデーションなどが取れてしまったりもして、まさにふんだりけったりだ。

このように、ジェンダーをトランスファーする際には、さまざまな、そして細かい困難が伴う。

手術で性器を形成（私はしてないが）するだけでは、性転換は終わらないのである。

では、なぜ、このようにくしゃみに男女差が生じるのであろうか。

ひとつには、男女の声の違い、つまり声帯の違いが、くしゃみの音にも影響を与えているということは考えられる。

だが、もうひとつは、やはり、社会的・文化的な要因であろう。

つまり、男は豪快なほうがよい、女はかわいらしく、こじんまりしているのがよいというジェンダーの枠組み、この中で、我々は育つ。

そして、長年にわたって、そうした規範に合わせて生活してきたために、くしゃみひとつするのにも、それぞれのジェンダーに期待されるスタイルが、身に付いてしまっているのではないか。

いわば、女性は長年の「訓練」の成果として、くしゃみがかわいらしくなっているということになる。

もちろん男性には、故意にくしゃみを盛大にするようなプレッシャーがかかっているのだ。

まさに、すべての人間の行動を規定する「ジェンダー」の強大な拘束力が、こんなところにも及んでいるということになる。

したがって、このくしゃみのしかたは、長年「ジェンダー」に合わせてそうしてきた結果なのだから、これは性別を転換した際であっても、一朝一夕には変更できないわけである。

もちろん、一部のオジサン等がするような無神経で無遠慮なくしゃみは、私も眉をひそめるほうにまわりたい。

しかし基本的には、誰だってくしゃみくらい、自分らしくしてみたいものだ。

大の男のくしゃみが、かわいらしくてもいいではないか。

若くて可憐なお嬢さまだって、せめて自分の部屋にいるときぐらいは、豪快なくしゃみをしてみたらどうだろう。

そんな小さな積み重ねの中から、性同一性障害者の生きやすい、ひいてはすべての男女にとっても息苦しくない世の中が生まれてくるのではないだろうか。